路面電車・LRT

2010年3月24日 (水)

40年目の「おつかれさま」

 昨日に続いて、函館市電ネタです。あしからず。

 函館市電と東京都電は線路の幅(軌間)が同じ1372mm(4フィート6インチ)。
 その縁で昔から、東京市電・東京都電の中古車が多数函館に転入しています。1934年3月21日の函館大火で多数の車両を焼失した後にも、当時の東京市電から4輪単車を大量に譲り受け、その一部が現在も除雪車として健在です。

 さて、今回引退する1000形1006も、もと東京都電7000形。1970年に函館市電に譲渡され、以来40年に亘り函館を走り続けて来ました。
 当初は10両(1001~1010)が転入し、ほぼ都電時代そのままの姿で活躍を始めたのですが、1971年のワンマン化の際に正面窓の大小2枚窓化と塗装変更が行われています。しかし状態不良の車両を中心に、早くも1973年までに5両が廃車。さらに1979年と1985年に1両ずつが廃車となり、以後は1006~1008の3両だけが在籍していました。

Hakoyachigashira19830326101
(1007 谷地頭 1983- 3-26)

 「故障が多い」「車体幅が狭く、詰め込みが利かない」等、関係者からは決して評判の良い車両とは言えなかった1000形ですが、1985年に残存車両の再整備が行われた頃からは稼働率も上がり、街中でよく見かけるようになりました。
 1993年からは1007が都電時代の塗装に戻され、活躍を続けましたが、2007年に1007・1008が廃車。孤塁を守って来た1006(旧都電7033)も、この3月で引退することになったものです。

 この1006も、退役を控えた昨年から都電時代の塗装に戻されています。都電に残存した7000形は1977年~1978年に車体新製されていますので、オリジナルボディの7000形としてもこの車が最後の「現役」でした。
 それだけでなく、正面の変形2枚窓は元々、函館市電の600形・700形(共に1973年廃車)が採用していたデザインなのです。ある意味1000形は、これらの「忘れ形見」でもあったのですね。

 新製から55年。そして函館転入から40年。
 ひとつの歴史がまた、終わろうとしています。

 新旧両塗装の1000形1006のUpを、並べてみました。
Hakoyachigashira19830326102
 (谷地頭~青柳町間 1983- 3-26)
20100320_1116 
 (駒場車庫構内(敷地外から) 2010- 3-20)

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2010年3月23日 (火)

25年目の「サヨナラ」

 函館市電にこの春、「超低床車」9600形の第2編成(9602AB)がデビューすることに。
 これに伴い、代替として710形711(1959年新潟鉄工所製・1985年国鉄五稜郭車両所更新)と、元都電7000形最後の生き残りだった1000形1006(1955年日本車輌製・1970年譲受)が、3月31日限りで引退することとなりました。

 そこで廃車前に一度、最期の姿を記憶に留めておきたいと思い、日帰りの弾丸ツアー敢行と相成ったのです。

 この711、実は更新後のデビュー直前にも試運転の様子をキャッチしています。国鉄の車両所が手がけた初の「市電」ということで、当時はずいぶん話題になりました。
 現在の函館市電の「標準色」となっているアイボリーとライトグリーンの塗り分け(CM塗装が多いため、なかなかお目に掛かれませんが…)も、もともとはこの車に採用されたものでした。

Hakokomaba19850802101
(1985-8-2 駒場車庫前)


 デビュー後しばらくしてから全面広告車化されていたこの車ですが、引退を控えて久々のオリジナル塗装に。ただ、デビュー当初はサイドの車号が切文字の貼付だったのですが、ちょっと貧相なペンキ書きになっているのが残念でしょうか。

20100320_1064
(2010-3-20 宝来町)

 皮肉なことに、未更新車よりも先に退役することになった711。やはり、1両だけの存在故に扱いにくい面も多かったのでしょう。
 国鉄五稜郭車両所ではこの後に500形505の更新(2代目501)も手掛けていますが、こちらも早々に貸切車化されています。

 デビューから半世紀以上、そして更新から25年。
 あとわずかの引退まで、ぜひ無事に使命を果たして欲しいものです。

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