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2010年2月 1日 (月)

そして何もなくなった…。

 週末は、2年ぶりに釧路へ。
 リンク先の「思いで鉄道探検団」の皆さんとご一緒させて頂き、「SL冬の湿原号」の乗車と撮影で走り回って来ました。

  土曜日の夕方、SL撮影から帰ってすぐ。
 たまには釧路の街中を歩いてみよう…と思い、駅前から幣舞橋を渡って、石川啄木所縁の資料が展示されている「港文館」まで、徒歩で往復して来ました。

 釧路駅前から幣舞橋にかけての北大通は、かつては釧路のメインストリートとして栄えた通り。釧路駅前の金市館(のちラルズプラザ)、十字街地区の丸三鶴屋(1996年から丸井今井釧路店)・くしろデパート(のちKOMくしろ)・丸ト北村などが核店舗となり、一時は「釧路市内商業小売額のおよそ4割をこのエリアで売り上げる」と言われる程の賑いを見せていました。
 丸三鶴屋周辺のバスのりばは「十字街」と通称され、各方面・系統別に上下4か所ずつ、計8か所の停留所が設けられていました。

 ところが1970年代半ばから、郊外大型店の進出による都心商店街の衰退…という典型的なパターンが、釧路でも顕著に。
 先に述べた大型店も次々と閉店・撤退が続き、2006年の丸井今井釧路店・KOMくしろの閉店を以て、北大通沿いのの大型店はついに全滅。幣舞橋たもとのフィッシャーマンズワーフ(MOO)と、やや離れたアベニュー946(もと長崎屋釧路店)、和商市場が残るだけとなりました。
 北大通沿いにあった家電量販店・メガネ店・金物店・書店・靴店・陶器店、果ては複合レジャービルまでも、大型店の撤退と前後して次々と閉店。もはや小型店が散在するのみとなった北大通は、完全に商店街としての地位を失いました。
 十字街のバス停もバス路線や運航本数の減少に伴い、現在では上下2か所ずつに統合されています。

 かくて現在、週末の北大通にはもはや人の賑いなどなく、寒空に街頭放送のみが鳴り響くのみとなっています。1999~2002年の釧路在住時にはまだ丸井今井などが営業していて、寂れたとはいえ一応の街らしさがあったのですが、完全にトドメを刺されてしまいました。
 いたる所に、「売物件」「テナント募集中」の貼紙が。十字街かど(北大通6丁目)の旧ショッピングヤスモトのビルのように、閉店から30年近くも建物の大半が空きビルとなっているケースもあります。

 6丁目の「十字街交差点」から南側。真ん中のビルが、丸井今井釧路店跡(こちら側の旧館は2004年に閉鎖)。
20100130_1085

旧KOMくしろ。1964年に「寄り合いデパート」としてオープンしましたが、2006年に閉店。建物はそのまま残されています。
20100130_1086

 最近はビジネスホテルの開業ラッシュのようで、スーパーホテル(駅近くに2か所)・ルートイン・コンフォートホテル・東横イン・ラビスタといったホテルが次々に進出していますが、これとても街の賑いに寄与しているとは言い難い…というよりも、街中ではコンビニすら数少なく、宿泊客が買物に難儀している有様です。ことココに至っては、もはや北大通エリアを「商業地区」として再生することは非現実的なのでしょう。
 釧路駅に近いという立地条件を活かせば、アクセシビリティに優れた「定住地区」として高齢者向けの集合住宅などを建て、そこから需要を導き出す形で商業立地を図るように仕向ける方が、コンパクトな街づくりの観点からはまだ可能性があるでしょうか。

 …それにしても、ココまで見事に「街中が空洞化」するものなんですねぇ…。

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コメント

 台風様、ご無沙汰です。

 私が初めて北海道に渡った1974年、釧路のみならず、小樽、旭川、帯広、函館といった道内の拠点都市はそれにふさわしい賑わいを見せていたように思います。釧路でも、駅前や十字街からは東邦交通バスや阿寒バスが頻繁に発着し、北大通もそれなりに人々が行き交い、何よりも幣舞橋の脇には多くの北洋船が繋留されていました。

 時は流れ、1992年に釧路を訪れた時、北大通は何となく閑散とし、フィッシャーマンズワーフは開業していたもののさほど客はおらず、さらには幣舞橋付近にあれほどひしめき合っていた漁船の姿が全くなかったのが強烈な印象として残っています。

 それからさらに20年近くが過ぎ、今では台風様が仰るような状況なのですね(釧路には92年以来ご無沙汰です)。北海道に限らず、各地の地方拠点都市が同じような状況を呈する現在の日本。その間の経済政策、社会政策が何か間違っていたようにも思います。貴殿と同じ路面電車ファンとして、せめて地方都市のまちづくりに寄与しうる路面電車の今後の展開に期待すると同時に、LRT計画が完全に消滅した堺市の状況を憂いたいと思います。

投稿: 岡町 | 2010年2月 2日 (火) 20時02分

駅前商店街という形態は世界各国の都市でも日本特有の風景です。駅前商店街は、戦後、駅前に闇市が建ちその延長で昭和50年初頭まであった一種の幻にすぎません。
駅前商店街で稼いだ両親の子弟たちは、その多くが大都会にでてサラリーマンとしてうだつのあがらないつまらない人生を過ごしてお終いです。
釧路という街は、街区をみると本州の都市にはないなかなかの美しさです。
その美しい街区に、欧米の都市のように図書館、大学、スタジアム、住宅といった建物が建つのが世界各国の都市景観でありましょう。

幅員6m少々の道路にアパート住まい。
そんな風景は釧路にはありません。
住宅街でも幅員16mの歩道完備の生活道路と、敷地100坪前後の住宅が建ち並ぶそんな釧路市の住宅街区は、オーストラリアのパースのような風景を思い出します。

投稿: 美しい都市 釧路 | 2017年7月19日 (水) 08時08分

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