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2010年2月

2010年2月27日 (土)

誤変換

 古くからインターネットをやっていた方なら、PCのワープロソフトの誤変換事例を集めた「世間虚仮」というサイトがあったのをご存知の方も多いと思います。
 
 「タイ料理コンテスト」が「大量離婚テスト」になったり、
 「JR東海」が「JR倒壊」になったり(ちなみに今打っていた時には「JR当会」と出た)、
 …はたまた、「大観覧車」が「代官乱射」になってしまったり。
 いつも笑わせてもらったものでした(現在も、アーカイブが残っています)。


 最近は流石に、Wordのソフトも進化を重ね、なかなかケッタイな変換は出なくなりましたが…。
 地名では時々、どうやっても出て来ないものがあります。

 札幌市内だと、豊平区の「月寒」(つきさむ)がその一例。
 「つきさむ」と打つと、「付きサム」と出てしまいます。
 仕方なく、「つき-さむい」と打って、一文字消しています。

 多分他にも、「一発で出て来ない地名」って、まだまだあるのでしょうね。
 以前、Panasonicのワープロを使用していたのですが、「あっけしちょう」(厚岸町)と打つと「呆気市長」と出てしまい、文字通り呆気にとられたことがありました。

 とは言え、最近のWordは学習能力もちゃんとあります。
 僕のPCでは「きょじん」と打てば「虚塵」と一発変換されますわーい(嬉しい顔)

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2010年2月15日 (月)

残っていた「帝國銀行」

 先週金曜日の、仕事帰り。
 ちょっと早目に職場を出れたので、「小樽雪明かりの路」会場をひと回りしてから帰ろうと考え、小樽のマチナカへ。

 旧銀行街の交差点まで来ると…おや?空家の筈の旧三井銀行小樽支店に灯りが入っている?
20100212_1038
 近づいてみると、なんと「内部公開中」。NPO法人のイベントで、館内見学とアート展を実施しているとのコト。
 迷うことなく、お邪魔させて頂きました。

 三井銀行小樽支店は1927年に、曾禰中條建築事務所の設計で建築されています。鉄骨鉄筋コンクリート地下1階・地上2階建てで、かつてこの界隈に建ち並んでいた都市銀行各行(三菱・第一・拓銀・勧銀・富士・東京など)の中でもひときわ存在感のある建物です。
 三井→帝國→三井→太陽神戸三井→さくら→三井住友…と銀行名が移り変わりながらも、都市銀行最後の「小樽支店」(1980年代の一時期、特別出張所に格下げされたこともあった)として使用されて来ましたが、2002年11月に閉店。現在は石屋製菓の所有となっています。

 営業フロアだけでなく、2階の会議室、1階奥の金庫室と支店長室、地下の貸金庫室などを案内して頂きましたが、床材や調度品などが創建当時のまま残されている所が多く、往時の華やかさが偲ばれます。長らく空家になっているこの建物ですが、石屋製菓では内装保持のため冬季間にはきちんと暖房を入れ、環境の保全を図っているそうです。

 そして驚いたのが、2階会議室に展示されていた各時代の銀行看板。
 上記のとおり、時代と共に改称を繰り返して来たこの銀行ですが、ほぼ全期間の行名銘板が残されています。
 特に目を引くのが、「帝國銀行小樽支店」の軒看板。
20100212_1051
 帝國銀行は1943年に旧三井・旧第一両行の合併により発足し、1944年に十五銀行を吸収合併しています。しかし敗戦後の行内対立から1948年に第一銀行と(新)帝國銀行が分離、帝銀は旧財閥名使用が可能となった1954年に再び「三井銀行」に改称しています。
 (一般的には、1948年1月に旧椎名町支店で発生した「帝銀事件」で、名を知られているでしょうか…)

 従ってこの軒看板、1943年から1954年までの期間に掲げられていたものと思われます。
 すでに半世紀以上経過。よくぞ残っていたものです。

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 銀行営業当時のカウンターなどもほぼ原型で残されているこの建物ですが、それ故に再利用が難しいとのこと。しかし、このまま「閉鎖」しておくには、あまりにも惜しい文化遺産です。
 ぜひ何らかの形で、再利用されることを期待したいものです。 

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2010年2月 1日 (月)

そして何もなくなった…。

 週末は、2年ぶりに釧路へ。
 リンク先の「思いで鉄道探検団」の皆さんとご一緒させて頂き、「SL冬の湿原号」の乗車と撮影で走り回って来ました。

  土曜日の夕方、SL撮影から帰ってすぐ。
 たまには釧路の街中を歩いてみよう…と思い、駅前から幣舞橋を渡って、石川啄木所縁の資料が展示されている「港文館」まで、徒歩で往復して来ました。

 釧路駅前から幣舞橋にかけての北大通は、かつては釧路のメインストリートとして栄えた通り。釧路駅前の金市館(のちラルズプラザ)、十字街地区の丸三鶴屋(1996年から丸井今井釧路店)・くしろデパート(のちKOMくしろ)・丸ト北村などが核店舗となり、一時は「釧路市内商業小売額のおよそ4割をこのエリアで売り上げる」と言われる程の賑いを見せていました。
 丸三鶴屋周辺のバスのりばは「十字街」と通称され、各方面・系統別に上下4か所ずつ、計8か所の停留所が設けられていました。

 ところが1970年代半ばから、郊外大型店の進出による都心商店街の衰退…という典型的なパターンが、釧路でも顕著に。
 先に述べた大型店も次々と閉店・撤退が続き、2006年の丸井今井釧路店・KOMくしろの閉店を以て、北大通沿いのの大型店はついに全滅。幣舞橋たもとのフィッシャーマンズワーフ(MOO)と、やや離れたアベニュー946(もと長崎屋釧路店)、和商市場が残るだけとなりました。
 北大通沿いにあった家電量販店・メガネ店・金物店・書店・靴店・陶器店、果ては複合レジャービルまでも、大型店の撤退と前後して次々と閉店。もはや小型店が散在するのみとなった北大通は、完全に商店街としての地位を失いました。
 十字街のバス停もバス路線や運航本数の減少に伴い、現在では上下2か所ずつに統合されています。

 かくて現在、週末の北大通にはもはや人の賑いなどなく、寒空に街頭放送のみが鳴り響くのみとなっています。1999~2002年の釧路在住時にはまだ丸井今井などが営業していて、寂れたとはいえ一応の街らしさがあったのですが、完全にトドメを刺されてしまいました。
 いたる所に、「売物件」「テナント募集中」の貼紙が。十字街かど(北大通6丁目)の旧ショッピングヤスモトのビルのように、閉店から30年近くも建物の大半が空きビルとなっているケースもあります。

 6丁目の「十字街交差点」から南側。真ん中のビルが、丸井今井釧路店跡(こちら側の旧館は2004年に閉鎖)。
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旧KOMくしろ。1964年に「寄り合いデパート」としてオープンしましたが、2006年に閉店。建物はそのまま残されています。
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 最近はビジネスホテルの開業ラッシュのようで、スーパーホテル(駅近くに2か所)・ルートイン・コンフォートホテル・東横イン・ラビスタといったホテルが次々に進出していますが、これとても街の賑いに寄与しているとは言い難い…というよりも、街中ではコンビニすら数少なく、宿泊客が買物に難儀している有様です。ことココに至っては、もはや北大通エリアを「商業地区」として再生することは非現実的なのでしょう。
 釧路駅に近いという立地条件を活かせば、アクセシビリティに優れた「定住地区」として高齢者向けの集合住宅などを建て、そこから需要を導き出す形で商業立地を図るように仕向ける方が、コンパクトな街づくりの観点からはまだ可能性があるでしょうか。

 …それにしても、ココまで見事に「街中が空洞化」するものなんですねぇ…。

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